みなさんこんにちは、ぽっかぽか治療院、院長の竹内昭夫です。
当治療院に興味をお持ちいただいたこと、また、あなたとの出会いに感謝します。今回、プロフィールを書くにあたって、現在の自分を見つめ直す良いきっかけになりました。お時間があるときにでも、ご覧ください。
1971年、知多市ではまだ珍しかったベーカリーショップを営む家に生まれました。
そのため家業が忙しく、家族はいつも後回し。クリスマスも売れ残ったケーキを食べたくて、「うちのケーキが売れませんように」そんなことを心の中で祈ったりしていた、親不孝な子供だったかもしれません。
休日は公園でキャッチボール、家族揃って夕飯を囲み、食後は庭で線香花火…そんなテレビドラマに出てくるようなサラリーマン家庭に憧れていましたが、当時の作文には「将来の夢は、パン屋さんになりたい」と仕事を頑張る父の背中を見て、やはり尊敬していた自分がいました。
父の働く姿を見てきて、「高校を卒業したのちはパン屋に」と思っていた中学時代。
ところが、両親は「とりあえず大学に行って、それでもなりたったら、パン屋さんやったら?」と。
親に勧められるまま、大学受験すべく進学校へ進路変更。まだまだ意志の弱い頃でした。
そのため大学へ進学するも、強い情熱をそそぐものが見当たらず、ひとり旅やウインドサーフィンなど浮ついた毎日。
恥ずかしながら、どんな仕事をするのか頭の片隅にもない日々でした。
学生時代、打ち込めることはなかった半面、色々と興味がありすぎて北はイギリスにはじまり、中国、南はマレーシア、スペイン、ポルトガル…など10カ国は訪れたでしょうか。
一人で大きなリュックを背負って旅する気ままな日々でした。大学2年の時、エジプトの砂漠のオアシスにある小さな小学校を訪問した時のことです。粗末な教室で、一生懸命に英語で話しかけてくる生徒さんたちと接し、「この子達はこんなに頑張っているのに、自分はふらふらとピラミッド観光」そんな一つの思いに目覚めることができました。
帰国後もしばらくはエジプトの小学校での時間が頭から離れず、何か運命的なもの感じました。
そこで、学校の教員を目指すことに決意します。
エジプトでの子供たちとの出逢いから、一転、思いを入れ替え、教員採用試験を目指す日々が始まりました。猛勉強の末、臨んだ試験は合格。のちの上司から採用通知の連絡を頂いた時の事は、本当にうれしかったことを覚えています。
しかし夢の教職に就いてからは、5年間始発終電の毎日、教職という仕事は難しいことの連続でかなりのストレスを抱えるようになりました。目つきもうつろになっていたのかもしれません。
そんなある日のこと、女性の先輩が飲みに誘ってくれました。彼女は今の僕を見るに見かねてアドバイスをくれたのです。「生徒たちが以前の竹内先生じゃないって。仕事以外の本でも読んで気分転換してみては?」と。確かにその頃の自分はやる気がからまって、テンパっていたのかもしれません。
先輩のアドバイスから、通勤中を読書の時間にして、ジャンルを問わず本を読みあさっていたある日、鍼や灸で自己治癒力を高めて、数々の難病を寛解に導くという鍼灸師の方が書いた『鍼を打つ人』(竹村文近著/実用書編)に出会います。
鍼や灸で自己治癒力を高めて、数々の難病を寛解に導くという、鍼灸師とはいったいどのような仕事なのか、興味を深めるうち、その関心を仕事に繋げようという意志が芽生え、ついにこの仕事に就くことを決意。
5年間勤めた学園を退職して、鍼灸学校へ入学します。
鍼灸の国家試験をパスして、実際の現場に出てみると、骨盤のゆがみを持った来院者さんがこんなにも多いのか…!私は衝撃を受けました。
そこで、本当に効果のある骨盤矯正を求めて数々の整体学校の門をたたき、ようやく骨盤や骨格の矯正分野での世界的な権威といわれている、MBHキネシオロジーカレッジにたどり着きました。
ここでは骨盤矯正の世界的権威であるMark Bryan D.C. から直接指導いただく機会に恵まれ、基礎から骨盤矯正をみっちり教えて頂きました。
マーク先生から伝授していただいた骨盤矯正を自分だけでなく、痛みを抱えるたくさんの来院者さん、完治を目指す整体師の方々に広く伝えて行こう、と決意してから、もっと日本人に合った骨盤矯正法にできないか?その後も試行錯誤を繰り返しました。
そして考案したのが「骨盤リセット」という治療法です。
のちに、これを特許庁に商標登録申請をしたところ、半年後に認可が下りました。
自分で考案し、命名した骨盤矯正が商標登録されたことで、今まで以上に自信をもって骨盤矯正に取り組むことができるようになりました。
今も「先生の趣味は?」と聞かれると「整体」と答えてしまうし、「整体」と看板を見つけては、勉強と称して施術を受けてみたり、高価なDVDや本も迷わず買っては妻から怒られています。
これでは「治療バカ」といわれて当たり前ですが、一生変えるつもりはありません。
こんな私ですが、まだまだたくさんの痛みを抱える方のため、今もまだ改善の余地はある、と思い日々奮闘しています。